村雨石                         信濃の大名・真田氏が愛でた古の石




     『村雨』は松代藩主・真田幸専(七代)、幸貫(八代)の頃、
     時の将軍・徳川家斎や水戸烈公、孝明天皇などに献上され、
     真田家は領内からこの石が産したことを大変誇りにしていました。

     真田宝物館等で見られる当時の『村雨』は、
     薄灰色の単色の地のものがほとんどで、
     (漆を施してあるので、実際の地の色より濃く見えます。)
     遠州好みの庭園や自然を模した鑑賞硯として作られています。

     右はこぶし大の村雨石。【11.5cmx7cmx3.5cm】
     下部の亀裂は熱水が入りこんだ水線です。









    非常に硬い石で、砥ぎ汁が出ません。
    泥板岩ですが、かなりの熱変成を受けたのか、
    火成岩に近い硬さです。
    拾った原石のほとんどが立層でしたが、
    タテもヨコも関係ないほど固結化しているので
    (斑点の部分はさらに硬く)、
    手彫りだと(それもハガネで)表面を均すだけでも
    かなりの時間を要します。
    機械だと寸時に出来るのですが・・・
    いにしえの職人さんのご苦労が偲ばれます。
    (写真は地色が斑状の村雨石の硯板)
    石自体に鋒鋩がないため、実用硯というよりは
    鑑賞硯の色合いが強い『村雨』ですが、
    立層を硯面にとって、1000番位の磨研石で目立てをすると、
    墨のあたりが良いように思います。
    【12cmx14cm】



 

 

      たとえカケラでも『村雨』は『村雨』。漆を施して文鎮に。



   渓流で拾った『村雨』の原石。
   白い斑点は風化したものですが、
   欠けた部分に本来の黒い斑点が見えます。
   地の色は石英の溶け込み具合により
   黒から灰色まで様々で、薄い灰色ほど斑点が
   際立っています。
   村雨石の産地・赤柴は、江戸時代にお留山として
   採掘されたため、良石は残っておらず、
   今はカケラが渓流で拾えるのみです。




 




   独自に探した某所の村雨石。
   やはり赤柴の村雨石が一番美しいように思います。
   【31cmx27cmx6cm】









  

           ↓ 同所で採取した魚(鰊)の化石。       ↑ 村雨石の露岩。( 松代・某所にて )

       

↓ 原石に入り込んだ黄鉄鉱。



 

 これが『村雨石』や『黄雲石』の”正体”です。






  





寂寞硯・HOME    黄雲石    寂寞石    普寛石    霞ヶ石